競艇は別名「水上の格闘技」と呼ばれています。ボートという乗り物に乗って、水上で戦い続けるのが、競艇という競技です。競艇のレース中には最悪の事故が何度も起こっています。
今回の記事では、競艇ではどんな事故が起こっているのか?事故の危険を冒してでも、どうして選手は競艇を辞めないのか?などについて詳しく解説していきます。
競艇で起こった過去の死亡事故とは?
競艇では過去の60年間で31件もの「死亡事故」が起こっています。競艇は「水上の格闘技」とも呼ばれていますが、最高時速80km/hにも達するスピードで、体を露出したままぶつかり合う競技なので、そのように呼ばれます。
もちろん、時速80km/hのスピードで艇がぶつかり合えば、波の影響などで艇が転覆してしまう事もあるのです。多くの死亡事故は、そういった時に起こっています。ここで、過去60年間に亡くなられた、競艇の選手を見ていきましょう。
・ 西塔 莞爾 亡くなられた日:1953/01/07 享年:29
・ 横溝 幸雄 亡くなられた日:1953/12/24 享年:34
・ 大井手 善信 亡くなられた日:1954/02/05 享年:20
・ 中島 常价 亡くなられた日:1962/01/06 享年:32
・ 小笠原 政敏 亡くなられた日:1962/07/25 享年:28
・ 大西 昭 亡くなられた日:1963/07/09 享年:31
・ 川添 一夫 亡くなられた日:1965/02/22 享年:35
・ 和泉 定治 亡くなられた日:1965/03/23 享年:40
・ 中井 紘司 亡くなられた日:1965/12/23 享年:24
・ 半田 弘志 亡くなられた日:1968/05/14 享年:29
・ 中村 五喜 亡くなられた日:1968/10/14 享年:34
・ 蛇山 清 亡くなられた日:1970/11/01 享年:23
・ 石塚 一雄 亡くなられた日:1972/11/12 享年:35
・ 池田 博 亡くなられた日:1973/10/07 享年:52
・ 筒井 博利 亡くなられた日:1977/09/30 享年:31
・ 一瀬 隆 亡くなられた日:1978/08/14 享年:27
・ 花田 龍美 亡くなられた日:1981/08/24 享年:34
・ 勝股 勇 亡くなられた日:1982/01/23 享年:38
・ 安心院 信行 亡くなられた日:1983/01/24 享年:30
・ 宮本 力 亡くなられた日:1985/01/03 享年:37
・ 清水 正博 亡くなられた日:1989/01/06 享年:23
・ 水野 定夫 亡くなられた日:1993/11/22 享年:48
・ 有吉 貴之 亡くなられた日:1997/09/04 享年:27
・ 伊藤 公二 亡くなられた日:1998/03/23 享年:55
・ 沢田 菊司 亡くなられた日:1999/11/06 享年:48
・ 木村 厚子 亡くなられた日:2003/05/25 享年:38
・ 中島 康孝 亡くなられた日:2004/03/28 享年:26
・ 坂谷 真史 亡くなられた日:2007/02/26 享年:26
・ 岩永 高弘 亡くなられた日:2010/05/14 享年:36
・ 鈴木 詔子 亡くなられた日:2013/11/02 享年:52
・ 松本 勝也 亡くなられた日:2020/02/09 享年:48
以上、31名の選手が、過去60年間でお亡くなりになられた選手です。20代で競艇の死亡事故でお亡くなりになられた選手も沢山いらっしゃいます。これほどまでに、競艇というスポーツは危険なスポーツなのです。
競艇ではどんな内容の事故が多いのか?
では、ここで過去の死亡事故の事例を挙げながら、どんな内容の事故が多いのか、詳しく解説していきます。
①木村 厚子選手
木村 厚子選手は2003年5月24日の津競艇場での事故が原因でお亡くなりになられました。38歳の美人女性ボートレーサーです。木村選手は1周2マーク目まで先頭をキープ。
ところがそこで振り込みの失速をしてしまい、後続のボートが次々と衝突、乗上げ。重症のまま病院にすぐに運ばれましたが、手当ての甲斐なく翌日お亡くなりになられたのです。「競艇界のニューアイドル」と呼ばれた大人気選手でした。
②中島 康孝選手
中島 康孝選手は2004年3月28日、尼崎競艇上での事故でお亡くなりになられました。2ターンマーク中に風や潮の影響で外側へ流され、そのまま消波装置にぶつかりお亡くなりになられました。26歳の若きホープでした。
③坂谷 真史選手
坂谷 真史選手は2007年2月の住之江競艇場で行われたレースでの事故が原因でした。2周1マーク、2着から差しハンドルで抜こうとしましたが、他艇と接触。そのまま転覆してしまい事故を避けようとした他の船に巻き込まれてしまいます。
すぐに病院に搬送され、集中治療室で懸命の治療が行われましたが、治療の甲斐なくお亡くなりになられました。26歳の選手で過去8年間の競艇人生で14度の優勝を経験されていた、有名レーサーだっただけに、非常に残念な事故となってしまいました。
ご結婚もされていて、奥様も競艇のレーサー佐々木裕美選手で、小さなお子様もいらっしゃる選手でした。前述した中島 康孝選手とも同期で、85期生からは2人もお亡くなりになる選手が出てしまったのです。
④岩永 高弘選手
岩永 高弘選手は2010年の5月24日の若松競艇場でのレース事故でお亡くなりになられました。2周2マークで他艇と接触転覆。そのまま後続の艇が岩永選手の後頭部に直撃。病院に搬送されましたが、意識は戻ることなくお亡くなりになられました。
⑤鈴木 詔子選手
鈴木 詔子選手は52歳のベテラン女性競艇選手でした。なんと、4700回もレースに出られていた、経験豊富な選手です。2013年11月の下関競艇場にてボートのエンジンをかけた際、なぜかボートのエンジンが全開に。
そのまま2マーク対岸の岸壁に衝突され、病院に運ばれましたが帰らぬ人となってしまいました。ベテランの選手でもこのような惨劇に見舞われてしまうのです。
このように、殆どの事故は水上で他艇や壁に接触して転覆。その後他の船に体をぶつけてしまい、お亡くなりになるケースが多いです。普段からトレーニングを積んでいる選手でさえ転覆を防ぐことは出来ないため、競艇というのは、いつも死と隣り合わせのスリリングなスポーツだと分かります。
競艇の事故から復活した選手!
競艇で活躍する選手の中には「大事故から奇跡の復活を遂げた選手」もいます。植木道彦選手という、既に引退された選手ですが、植木道彦選手は75針を縫う大けがをされたのにも関わらず、事故から半年後に見事な復活を遂げられます。
選手生活3年目の桐生競艇場で、転覆し他艇のプロペラと接触。顔などに全治5カ月の大きなけがを負ってしまいましたが、その後見事な回復力と精神力で復活。その後引退までにSG優勝10回などの大きな記録を残して選手生活を終えられました。
植木道彦選手が半年後の復帰戦で選ばれたのはなんと、自身が事故を起こしてしまった「桐生競艇場」でした。この人並離れた精神力の強さから、「艇王」「不死鳥」などの異名を付けられていたのです。
事故の危険を知っていながらも選手はどうして戦い続けるのか?
ここまで書いてきたように、競艇とはいつ死んでもおかしくないスポーツです。しかし、登録されている競艇選手は1600名。毎年のように、競艇学校を卒業して新しく選手になろうとする人が必ずいます。それはどうしてなのでしょうか?
やはり、他のプロスポーツと比べて、選手生命が長いということは理由の一つでしょう。おおよその選手は40歳くらいまでは現役で活躍できます。中には鈴木 詔子選手のように、50代になってでも現役で活躍し続けられる選手もいるのです。そのため、他のプロスポーツから比べると稼げるチャンスが多いのが競艇の魅力です。
また、レース時の独特な緊張感と躍動感は、一度味わってしまうと病みつきになって離れられなくなるのかもしれません。死の危険があってでもボートに乗りたくなってしまうほど、競艇には魅力があるのです。
競艇では過去に多くの事故が起こっている!それでも戦い続ける選手たち!のまとめ
というわけで、今回は競艇の中で過去に起こった事故について、詳しく解説してきました。死亡事故は過去31回も起こっています。いつ事故が起こるのかは誰にも分からない危険なスポーツですが、その中で勝負を仕掛け続けることに、競艇の魅力があるのでしょう。あなたも早速競艇場に行って、体験してみられてはいかがでしょうか?
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